中年になってからASD+ADHDと診断された記録

40代でASD・ADHDと診断されました。生活や思ったことの記録です。

 市役所で国保が安くなる手続きをした。精神科で診断書書いてもらったおかげで、前年の収入3分の1として保険料が計算されるとのこと。こんな制度全然知らなかった…

 夜中吐き気で目が覚めることが何回かあったが、しばらくするとおさまった。原因不明。

 先生から言われたこと
「社会不安なので、目を見るのが苦手かな~という感じ」
「求人の応募するとき、その会社の求人票が出る頻度・離職理由を聞いてみたら?」

 障害者手帳を取って一番大きかったのは、失業給付が300日分もらえること。気の持ちようが全然違う。

 精神科で、「ハロワに離職票を持って行くときに『精神的にしんどくてできなくて、通院してて薬も飲んでる』と言えば、何か用紙をくれるのでそれを病院に持ってくれば失業保険すぐもらえます」 と言われた。そんなこと知らなかった。

 ハロワで話したら、「~病院さんですか?」と言われた。同じような人いっぱいいるのか!??

 これを病院で話したら、「他のところはこういう書類知らないかもしれませんね~」「しばらくゆっくりされたらいいと思います」と言われた。

 病院ガチャは当りだったのか? わからん。

 ブログは自分のやったことと思ったことを整理するために始めたが、おかげで気づいたことが1つある。

 (やたらフラッシュバックって書いてるな…)

 今まで自分がそんなにフラバを気にしている自覚が無かった。
 思い切って精神科で、子供のころ嫌なことが何回も頭をよぎると話してみた。どんなことだったのかも少しだけ話した。
 先生からカウンセリングという単語が出てくると思わなかった。SSRIをすでに飲んでいるが、薬を増やされるのではと予想していたのに。

 まだカウンセリングを受けると決まってはいない。費用もわからないし。

 加害者は今どうしているか知らないが、なんで被害者は何十年も嫌な思考につきまとわれてカウンセリングの時間や費用を消費しなくてはならないのかと思うとひたすら不快でしかない。

 20才くらいから忘れていたが、子供のころは世の中が得体の知れない恐ろしいものだったのを思い出した。どうして自分というものがあるのか、どうして他の人間や世の中というものがあるのかがわからない恐ろしさ。


 

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